異常な親

henkendameningen.hatenablog.com

親兄弟が心配してくれているのにこんなこと思う私はだめなのかなぁ。でもね、私が本当に精神を削っていたとき、記憶もないくらいに精神を削っていたとき。兄弟には忘れましたが、少なくとも親にはヘルプサインを出していたこともあったんですよ。もうおとなになってからのことですよ。

 

そのときにはそんな大丈夫かなどと声をかけられたことは一回もないです。そんなもんなんですよ。別にそんなことを恨むわけではございません。親に甘えるつもりもございません。

子を見ているようで見ていない。子のことを分かったつもりになって分かっていない。そりゃ離れて暮らす子どもの精神的不調を察知せよ、というほうが無理難題かもしれないが、でもやっぱりバランスが悪い関係性だなぁと思います。

子どもを心配しているんじゃなくて、ただあんたが不安なだけなんだろ、と思ってしまいます。

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でも書いたけど、この心配性ってのはちょっと異常なくらいですよ。

それにさぁ、たとえば子供の頃、夏休みに入って毎日毎日「夏休みの宿題やったか?」なんて聞かれたら、そして真面目に夏休みの宿題をやっていたら、本日「やったよ」1日後「やったよ」2日後「やったよ」3日後「やったよ」4日後「やったよ…」5日後「やったよ…」6日後「やったって」7日後「だからやったって言ってるやろ!」8日後「やったって言ってるやろ!!!昨日も同じやり取りしたよなぁ!!!!」9日後「だからやったって言ってるよなぁ(こいつキチガイちゃうか)」となるのは当たり前じゃないか?

これ、子どもが悪いのか?私の親ならこう言うだろう。「そんなもん夏休みの宿題やるのなんか当たり前やないの!親としてやったかどうか心配するのは当たり前やないの!なんでそんなすぐに喧嘩腰になるの!あんたがおかしい!!」。もはや修復不能の関係性。

 

私の親の恐ろしいのはこのやり取りを行った上で、1年後の夏休みでも同じことを繰り返してくるということ。これを避けるのってどうしたらいいんでしょうね。毎年毎年夏休みの宿題はきちんとやっているのに!!

親「夏休みの宿d」私「やった」親「本当にちゃんとやっt」私「やった」。こんな会話になるのも当たり前だろう。

 

この関係性の行き着くとところ。挙句の果てにこのやり取りが嫌になって本当は宿題なんてやってもいないのにこうまでくると「やった」と答えてしまうところ。

 

いやー愚かですねぇ。