不安

私の母親は心配性である。子供全員がそういうのだから間違いない。そういう私の兄弟も歳を取るにつれ母親同様心配性になってきているのに気づきました。

しかし、私の母親は心配性という言葉では表現できないほどに心配性だと気づいた。病的なほどじゃないかとも思う。

父親も心配性だ。私の両親はものすっごく狭いコミュニティで暮らしているので、周囲にいる人の言葉を世間一般の言葉として捉えてしまうのだろう。誰かから聞いた不安点をダイレクトに抱え込んでしまうのだろう。そして、それを夫婦間で増長し合う。本当に困ったもんだ。

両親二人だけで怯えて暮らしているのならばまだいい。見苦しくはあるし、不安に押しつぶされそうになっている様をみてかわいそうには思うが、考え方が違うんだなと割り切ってしまえば別にいいのだ。不安に思う感情に対して、これこれこういう理由でそんなに不安がってても仕方がないんじゃないかなぁ、なんて理性論を語っても仕方がない。感情対理性は同じ土俵で勝負しあえるもんじゃないんだ。

しかしその不安をこちらにもぶつけてこられると心底迷惑だ。コロナが怖い~、あんたはどんな対策をしているの!ワクチンはいつ打つの!地震が怖い~。地震が、地震がぁぁぁぁ。認知症になるのが怖い~。海外になんか行かないでくれ~。

勘弁していただきたい。

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思い返せば昔からそうだったのだ。とにかく心配性で、私はつい先日、兄弟にも語ったことがあるのだが、親の前で咳一つするのも気を遣った。心配するからである。いや、さすがに咳一つしただけで死ぬんじゃないかと不安がることはないんですが、とにかく風邪を引くんじゃないか、さっさと寝なさい、厚着をしなさい、風呂には入らなくていい、遊びに行くのはよしなさい、云々。うるさすぎる。

 

この年齢になって分かったが、もう理論が通じる親ではないのだ。感情でただただ怯えているだけ。反面教師で私はかなり楽観主義者に育ってしまった。たいしたことは恐れない。たいてい、なんとかなる。命を奪われるようなことや、それに準ずるようなことにはならんでしょとたかをくくってしまっている。いいことか悪いことかは別問題。でも、心配しすぎる病よりも人生楽しく生きてられるような気がしますけどね。

 

正しく恐れよう。