親子関係

思えば私が中学生くらいまで、私の父親は血気盛んという言葉がぴったりの父親であった。だれかと争いをしたとかなんとか。母親は、いまとなっては理不尽なところも多々あったと思われる父親に黙ってついていくような感じだった。

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父親と母親の意見が一致したときは恐ろしい。誰も何も言えず、誰からの助言も受けない。父親は現在の住居の間近で生まれ間近で育ち、幼稚園~大学も間近。生まれ故郷で働いている。職場は家の直ぐそば。基本的には職場と家を行ったり来たり。たまにでかけても車で15分程度の市の中心部にいくだけ。冗談じゃなく、人生で最も移動距離が少なかった人ランキングがあるなら、父親は有史以来のチャンピオンになるんじゃないかと思っている。

そんな生活じゃ、よほど意識して外の世界を謙虚に知ろうとしない限り、どんどんと見識が狭くなっていきますわね。

二人だけの世界観を家族外に対しても、もちろん家庭内に対しても貫き通す。子どもの言うことは所詮、子どもの言うこと。お前の言うことは聞くとはよく言われました。確かに聞いてくれました。聞くだけは。心のなかに思っていられるよりも、口に出してもらったほうが子供の考えていることを把握できるという考えだったんでしょう。

でもね、おそらく聞くだけ聞いて、子どもの考えを理解して聞き入れる、なんて発想はあんまりなかったんではないかな。子どもはコントロール下におけるもの、という考えが無意識的にあったんではないかな。

事実、子ども3人は地元に土地を買ってあげるからそこに住みなさい、結婚相手は見つけてきてあげる、ってな感じでしたからね。お前らの人生俺らが決めてやる、と。いまどきそんな話あるかよ。

そんなこんなで二人だけの世界を作りあげたのが我がHOMEです。当然子どもである私達もその世界に否応なく取り込まれ、それでも親の言うことは正しいことと刷り込まれ。年齢が上がるにつれ、私は周囲との差を埋めるのに苦労しました。そりゃ変わりもんと言われるわな。いまでも埋まってないのかもしれないね。

ようやく自立し、独力で生活し、私自身も家族を持つ身となった今、私の育った家庭がいかに特殊であったのかと自覚する毎日です。年老いた父母はまだそれがわからず、周囲との壁(=私との壁)になぜぶつかるのか理解できない様子。

もう新しいことを学ぶ年でもないし、今までの人生を内省することもないでしょう。

育ててもらった御はありますが、それ以上でもそれ以下でもない。私にとっての親とはそのようなもんです。