henkendameningen.hatenablog.com
続き。
父は仕事人間だった。家の用事など一切しない。電球一つ変えることもしない。その父を母はよく支えていたと思う。
昭和人間の父。昔は怖かった父。稼いで食べさせてやっているんだ、という意識が強かったんでしょうね。
怖かった頃は私は幼かったんですが、その幼い私から見ても父の母に対する扱いや態度はひどかったと思う。そういう時代だった、という側面もなきにしはあらずだが、やっぱりひどかった。理不尽に叱責し、言い返せない母親を何度も見てきた。小馬鹿にするような言葉もあった。
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父が母を愛していたのかどうか、その態度からは明らかではない。よくわからない。そんなふうな言動をしていても支えてくれる母に感謝の気持ちをもっていたのかどうか、分からない。
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父が仕事を辞める直前に、「お父さん、これからはたまにはお母さんの仕事(=家事)を少しは手伝ってあげて」といったのだが、全く響いている感じはなかった。
仕事人間が仕事をやめると大変だ。何もやることがなくなる。
だからただ出された食事を食ってあとは寝るだけ、という恐ろしい毎日が始まるわけだ。そりゃぼけますよね。
体も心も一気に衰えた。歳のせい、ではあるけれど、あまりにも一気にきたので我々は面食らった。最も困ったのは母親だろう。父が仕事をやめ、少しは自由な老後の時間ができるかなと思った母親。家事を手伝ってくれるどころか父の面倒を見ないといけなくなった。そうでなくても夫源病を発症してもおかしくないのに。
いつもカリカリして言葉がきつくなる。当然子どもたちとの距離感も遠くなってします。すると父母は孤立し、ますますつらい状況。しかし、こればっかりはどうにも出来ない。
そういうふうな老後を描けなかったのは父母の責任とも言えるからだ、と私は自分を納得させる以外に落とし所がないのだ。
近隣に住む兄弟はたまに母と話すのだが、父の話になると母親は本当にいわゆる苦虫を噛み潰したような顔になるそうだ。電話口で私と話しているときもそう。
直接話すとあまりにもひどい母親の言葉のキツさがあるのでもう電話でも私は話したくないのだが、必要があって電話をすると「苦虫を噛み潰したような顔で顎を噛み締めている母親」の姿が容易に想像できる。
よくないですね、これ。