henkendameningen.hatenablog.com
続き。
そうそう、高校の頃にも友人から気にし過ぎじゃない?と言われたことも覚えている。
いまでは気にする人、ではあるけど、気にしすぎる人ってことはなくなってきたと思う。遠慮深い押しの強くない子ども、というレッテルに安住し、ほかから攻撃されることのないポジションにいては逆に損をしているんじゃないかと考えるようになったのだ。
人間関係を気にしすぎるあまり、さらに人間関係がうまく行かなくなっているんだ、と認識したのも私が変わるきっかけ。
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もう一つのきっかけはTさんだ。
私が就職したときの同期、同僚。色々誤解はされるのかもしれないが、がんばりやさんで個性的ないい人だ。
この彼女、私と同じでよくダウン気味になっていたんだよね。だから仲良くもなれたのかもしれない。
職場で泣いていたこともあった。橋から飛び降りてしまおうかとおもったと吐露されたこともある。当時の私もそうだが、病んでたんだな。
「誰々がこんな事をしてこんな事を言ってたんだけど、こういう意味かな?こう思われている気がする」と職場で話していた。私には気にし過ぎだろう、と感じられた。
「こう思われている気がする」ってところから「こう言っている気がする」→「(実際は言われていないのに)こんな声が聞こえる」って感じで病気が始まるんだろうなぁとも思った。Tさんはそこまではいかなかったからよかったけど。
気にし過ぎなTさんを客観的に見て、自分の思考を俯瞰で見ることが出来たように思う。気にし過ぎはよくない。病みを強くするってね。
ってことで未だにあんまり人間関係は得意ではないけど、気にしすぎ、はなくなった。よかったよかった。
でも
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こんなことを考えるのは気にし過ぎだからだろうか。それでも私は一度敵認定した人間と仲良くすることは絶対にできない。