兄弟と話していて思い出したのだが、親父は自信満々であった。
いまとなっては見る影もない。
どうしてそんな自信があったのかわからないが、人より稼いでまっせということが基盤にあったのだと思う。
思い返せば私もそうだ。どうしてそんなに自信満々だったのか。いまじゃ自己評価の低い、人に嫌われないための見せかけの謙虚さだけ持っているだけの小市民である。
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人には根拠のある自信と根拠のない自信が必要である、とつい最近なにかで読んだ。
私はてっきり根拠のある自信が大切で、根拠のない自信は不必要だと思っていた。20代の頃からの自身を振り返ると根拠のない自信ばかりであったからだ。努力もせず自己研鑽もせず、なぜか自信があり、世間からの見られ方にギャップがあった。
が、ど人にはその両者どちらも大切だということだ。
もちろん確固たる努力に基づく自信は必要。でもそれだけではだめで、根拠なく、いくとこいったれーという自信も必要なんだろう。後者は親からどれだけ愛情を受けたかということに依るものだそうだ。
鋭い分析である。
親は子供に無償の愛を注ぐが、きっとそれが活力になるのだろう。しかし行き過ぎは良くない。私も過保護に育てられたクチ。その過保護さから得た根拠のない自信が、根拠ある自信を生み出そうとする活力を奪ってしまう。
非常に悪い例えだが、アジアンの隅田もそうであろう。彼女は親からかわいいかわいいと言われて育ったんだそうだ。で、世間からの評価とのギャップに悩み、芸人休業中(であればどうして芸人という職業を選んだのかが疑問であるが)。
私ももっともっともっともっと子どもを可愛がりたい。でもやりすぎは良くない。そう思っている。