定期的にチェックをしているXにて「頬を濡らした」という表現について「なぜ突然頬を濡らしたのかと(子どももしくは生徒から)聞かれた」と書いてあるものを見つけた。子を持つ親かもしくは若年者にものを教えている教師の投稿だろう。
チェックしているだけで斜め読みだけだから詳細な背景までは不明。というか、私、Xの使い方あんまりわかってないんですよ。あれ、各tweet(ってのがもう古いのか。twitterからXに代わってからはリプライというのが正しいのか??)に対して色々とリンク的なもんが貼れるのか?そしてそれはブラウザではできないのか?アプリなら見れるのか??
とにかく、このtweetを見たとき、何を言っているのかさっぱりわからなかった。頬を濡らすは頬を濡らすだろうとしか言いようがないし、そのように思うしかないのではないか。
しかし、3秒ほど考えてこの投稿の意味を理解した。
もちろん質問者は頬を濡らす、という意味を知らないわけだ。意味を知っている大人からすれば、おそらくは悲しいことが前提条件としてあって、その結果として頬を濡らすわけだから「泣く/涙を流す」という意味だと類推できるだろうと思うわけだ。
しかし、意味を知らぬ子どもは誰が頬を濡らしたのかと考え、濡らす主体は悲しんでいる人である。人が頬を濡らす、というのを慣用句的ではなく形而下に捉えると、ありのままに捉えると悲しんでいる人が(例えば濡れたタオルで頬を触って)頬を濡らす、というふうに解釈できてしまうのではないか。だからこそ「なぜ突然わざわざ(何らかの手段で)頬を濡らしたのか」という大人からすれば突拍子もない質問に行き着いてしまうのだろう。
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ほんと、日本語って難しいですよね。
henkendameningen.hatenablog.com
だからこそ言語学って面白いし、ゆる言語学ラジオが成り立つわけなんだが。この議題も話題になればゆる言語学ラジオで取り上げられそうw
頬を濡らす、の主語はなんなのか、って問題に行き着くと思うんです。子どもの考える通り、普通に考えれば人が、ってのが一般的な答えだと思う。もちろん、悲しんでいる人が主語である。だからこそ意味が類推できない。
涙が頬を濡らした、というのも一つの解釈法だが、日本語的に無生物主語はなかなか受け入れがたい。
頬が濡れた、ならまだ自然かもしれない。
悲しんでいる人が涙で頬を濡らした、というのもわかりにくい。
うん、日本語はやっぱり難しい。だからこそ慣用句的になっているんだろうなぁ。